p37
翌日からぼくは元気いっぱいで病棟に行った。
p38
しかし、それ以上にぼくは素直な性格だったようだ。隠しても隠しきれない嬉しさが、立ち振る舞いにあふれ出ていたらしい。
p42
原因のわかりにくい病気がたくさんあることは知っていた。
p42
むしろ教科書的な典型的病態がはっきり現れ、確実な診断がつくことのほうがめずらしいと思っておいたほうがいいよ。
p44
とりあえずの理屈が成り立ってしまい、それがもっともらしく聞こえてしまい、納得し合ってしまうのは具合がわるいのではないかと感じているからだ。
p53
子どもを診る時、「大声で泣いているならば、まず大丈夫。泣きもせず、ぐったりしている時は要注意」というのが基本である。
p82
当時、ぼくはまことに、いとおしいほどにうぶであったのだ。
p95
ぼくには、真面目なテーマになればなるほど話をまぜっかえすという悪い癖がある。
p103
アルコール中毒の患者に特別な禁断症状、小動物幻視と呼ばれるものである。
p105
医者はいなくても病気は治るし、医者がいたって治らない時は治らないのだ。
p109
予防が大切だからといって、それを怠って病んだ人を医療者が叱ることが許されるのだろうか、という疑問である。原因はどうあれ、病んでしまった人は、みんな同じではないのか。働き過ぎによる疲労からくる肝臓病がアルコール性の肝硬変に比べて偉い、なんてことはない。心臓病がインテリの証で、梅毒は低級な病気ということはないはずだ。/もちろん、病気になんかならないほうがいい。病気になるとつらいだけだ。その意味で、医者が患者に「アルコールを止めて」とは言える。しかし、それはお願い、せいぜいアドバイスであり、命令ではないはずだ。
p113
通称「北極への道」、極寒ロードとも呼ばれていた。
p135
いまの臨床医学は、良くも悪くも薬とメスで成り立っている。
p140
「ひたむきパフォーマンス」をあたかも、それが持続性のある実態であるかのごとく観客が納得してしまう、あるいは納得したいと望むのは具合が悪いのではなかろうか。
p147
わたしは、がんを告げる告げないは、患者さんによると思うのね。がんという事実を受けとめられる人と、パニックに陥ってしまう人と……ケースバイケースね。
p148
一般論ではなくて、梅沢さんの場合はどうかって考えてほしいのね。
p149
得意の「自分だけの世界」だ。ぼくの耳は便利にできていて、面倒になったり都合が悪くなると、自動的に蓋がされるか、左から右に素通りしていく構造になっているのだ。
p150
死をうろたえずに受け入れる人が立派で、ばたばたする人がだめだとほんとうに言えるだろうか?
p156
だが、こうあまりにすっきりしすぎているのは、なんだか嘘くさい。すっきりとした現実なんてありはしないのだから。
p158
きっと、ぼくががんであることを教えてほしいのは、一人で死んでいくのがさみしいからなんだろうと思う。
pp158-159
がんということをはじめから知らせてくれれば、死んでしまうという絶対の切り札をちらつかせながら、生きている人間を巻き込むことができる。言葉に出すにせよ出さぬにせよ、「俺はがんだ」、「俺はもうじき死ぬんだ」と、生き残っている奴らにプレッシャーをかけられる。たとえそれが、わがままでも、みっともなくても、そこには否応なく他者との関係が生じる。死への過程を誰かと共有できる。それで、多少はさみしさがまぎれるような気がするのだ。/死ぬのはひとりぼっち。これは仕方ない。でも、三途の川を渡るまでは、誰かと一緒にいたいのだ。だって、川を渡った先には、ぼくの場合など、針の山と煮えたぎる血の池しかないのだから。死ぬまでも一人で頑張って、いきなりそんな所に連れて行かれるのは殺生にすぎる。
p184
だいたいぼくは、人の言うことを否定するのがとても苦手なのだ。ささいなことでも、一言否定してしまうと、それでもう、関係が修復不能なまでに壊れてしまうのではないか、そんな恐怖感にとらわれてしまう。だからふだんは、ほとんど納得していないことでも、「そうですね、そうですね」と、とりあえず同意してしまう。その調子で、すべてをやりきれれば、それはそれで一つの生き方だとは思う。
p187
しかしまあ、実際やるとなると難しいことでありますなあ。ぼくにはよくわかりません。
p187
病気の初期症状というのは、どれも似たりよったりのところがある。なんとなくからだがだるい、食欲がない、熱が出る。こういった病初段階での漠然とした症状だけで、確実な診断をつけるのは難しい。
p189
万人にとっての名医はいなくても、あなたにとっての名医はきっと存在する。あなたが、「この人はいい医者」だと思えば、その医者はまぎれもなく、あなたにとっての名医である。勘を信じるべきである。そして、その医者が診れば、あなたの病気もきっとよくなる。人間の病とは、そうしたものである。
p195
どうせ参加できないのだから、いっそ観客に徹してやれと、ほぞをかためた。
p199
これでもまたぼくは、「通行人・その他」であった。
p200
君子危うきに近寄らず。
p204
ぼくがうまくできないのは、そんな時の心の重心の位置を定めることである。どの程度の重さで、心のどのあたりに置いて、どんな顔をして緊急事態に対応すればいいのか、それがぼくにはわからないのだ。
p216
なかなか人生というのは難しい。
p221
多忙さは、人を錯覚させる。
p224
耐えに耐えるのが美徳。歯をくいしばって、弱音をはかないのが立派な人。小学校や中学校のとき盛んに吹き込まれた、そんな価値観、倫理観を、ぼくはいまだにひきずっているのだろうか。もしそうなら、学校の教師は、どんな場面を想定して、そんなことを教えたのだろうか。改めて聞いてみたい。
p231
これまでやってきたことを見直す、具体的には、自分がどんな医者だったのかを思い出しながら書いてみる、ぼくはそういう作業を選んだ。そして、実際に書いてみて、「なるほど、そういうことだったのか」という新しい発見が幾つかあった。この方法は有効かもしれないと思っている。
p240
彼は自分に嘘がつけない人なのだ。そのことが文章の中にありありと現れている。
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