[読書メモ]『ぼくが医者をやめた理由 つづき』(永井明)

Hitoshi Arakawa | 2025/05/25 Sun 04:29

p10
どうも、ぼくには、「何となく」の雰囲気だけで行動を起こす性癖があるようだ。正しいか間違っているかではなく、気分的にピッタリくるかどうかで判断する。しかもまた、その判断がじつによくはずれるのである。カンが悪いのにカンで動く。困ったものだ。

p28
自分たちがどう考えどう行動するかではなく、これまでどうだったか、教科書にはどのように書いてあるか。いつもそうなんです。

p44
が、少年期の深い傷がうずいた。ぼくは、子どものころから大多数の良い子のほうには入れてもらえなかった。はずれてしまった少数派だった。そういう思いがある。だからどうしたって、はずれ者のほうに肩入れしてしまう。

p139
いいか悪いかはわからない。でも、どのようにであれ、変わっていくというのは素敵なことだと、ぼくは思っている。だいいち、毎日がちがっているなんて、なんだか心がわくわくするじゃないですか。

p143
わがままな患者は、わがままな医者が引導を渡すのがもっともふさわしい。ぼくは、そう屁理屈をつけた。

p146
「医者もやめちゃったんです」/ 「はっはっはあー。それはよかった。これでたくさんの人が命が救われる。やぶ医者がひとりいなくなったんだからね。はじめて人助けをしたんじゃないのかね、ドクター」

p152
自分のやめた後のことなど、放っておけばいいと思うのだが、いかにも律儀な彼らしい気の配り方だった。

p167
幸い悪化はしない。けれど、よくもならないのである。

p168
レントゲンというと、からだのすべてを見通してしまうように思える。なんでもわかるような気がする。しかし実際には、フィルムに写し出された陰影を見ているだけ。あくまで間接的な情報にすぎない。からだの中で起こっている変化を、レントゲン写真だけで確実にとらえることはできない相談。ほんとうのところは、誰にもわからない。

p168
数いるお医者さんの中には、まるで名人芸のようにレントゲン陰影を読み当てる人も、たしかにいる。しかし、それはあくまで「名人芸」であり、一般性をもたない。

p172
病気になってまで気をつかうことはない。そのことが病状にいい影響を与えるはずはないからだ。

p173
穴があったら入りたい。いや、穴を掘ってでも身を隠したいという衝動にかられるのである。

p179
目の前にいる患者さんにとって、そんあ身も知らぬ他人さまのことなんか、基本的には関係ない。医者は、受け持ち患者の利益にこそ、もっとも敏感であるべきだと考えているからだ。

p188
いや、これはまさに「教科書どおりだ」というケースも、あるにはあった。しかし、声に出して驚くぐらいだから、ひじょうに稀だった。

p190
実際には懇願されているのだが、脅迫されているような気分になる。

p192
でも、正直なところ、そう__患者が愛想をつかしてくれないかと、願うことが、ままある。

p194
「人間の病気は、その患者さんの心のありようを抜きにしては語れないんだよ」

p197
大学病院あたりでは、患者さんのことをマテリアル(材料)と呼ぶことがある。ぼくは、そんなことを平気で言える神経を持ち合わせていない。

p202
ぜん息の症状が、心の動きと密接な関係があることは、以前からよく知られている。

p207
やや斜めに反応する傾向が、自分の生き方を窮屈なものにしてしまっているのだろう。しかし、このクセもなかなか直らない。まったく困ったものである。

p226
あのいきなり喧嘩を売っているような関西弁

ぼくが医者をやめた理由 つづき - Amazon
https://amzn.to/4iZkFj3